戦後日本の再建及ぴ仲長如何は好むと好まざるとに不拘、国際世界の一員としてその基盤の上に立って始めて考え得る事であり、又その成否の度は多分に青年の積極的意慾と情熱とに左右される事は敗戦の特殊事情を考える時、真に当然な事であります。此の様な客観的條件に順應しその要請に應える為に、JC設立の動きが、昭和24年春以来活発となり、同年9月東京青年会議所が設立されたのを嚆矢として、現在に至る間に20数ケ所に於いて設立されて居ります。
豊橋JCの設立発起の動機は名古屋JCの御歓奨と商工会議所の御指導と座談倶楽部の先輩各位の示唆とに依るものであります。座談倶楽部は昭和10年JCと酷似する趣旨を以て新入の集として創立されたるものにして、現在に於いても尚この創立時の趣旨が保持されて居ります倶楽部でありますので、此の時に於いて倶楽部の幹事であった鈴木武雄、花田利雄、塚本欣一、三君の此の会に在りてJC設立問題を採り上げる事が最良の方途であると去う確信に基き、JCが当市に於いて如何なる時期に、如何なる形にて設立されるべきであるかと云う点に就て熱心に研究を始め、先輩各位の適切なる御教示並に、会議所当局の御指導とを受けて愈々設立する気運となりました。尚此の間各地青年会議所の友情に依りまして、貴重なる参考資料を入手する事が出未た事は、何物にも代え難い援助となりました事を御報告申上ます。
以上の努力に基く結論より、4月18日磯村商工会議所会頭を始め先輩各位、会議所事務局の方々と共に幹事会を開催致しました処、当市の建設と発展の為に青年の意気と思惟とを社会の各面に反映するべく相共に手を取りて啓発し、親睦し、調査研究し、社会奉仕観念を助長するJCの組識的特性及視野を広くする国際的関連性等の諸点に決定的な意義と価値とを認めまして、早急に青年の熱意の結晶に依る独自の形にて創立せられるべきである点に意規が一致致しました。此の際かかる設立の熱意に対しては援助を惜まない旨の商工会議所の意向も伝えられ激励せられました。
如上の如き結果に基き、第一歩として4月30日座談倶楽部の会合を開催し、之迄の経過を報告し、会員中の年令的有資格者の方々の御意見を纏めましたる処、JC設立に積極的な熱意を示されましたので、直に設立準備委員会を設ける事として、委員は当時倶楽部幹事長であった塚本欣一君に指名を一任しその結果、鈴木武雄君、花田利雄君、野沢東三郎君、谷中良郎君、熊田嘉門君、塚本欣一君が指名され、6月1日創立を目標とし、一般に会員を募る事と致しまして、愈々具体的準備段階に入る事が出来ました。
爾後商工会議所事務局の熱心なる御指導に依りまして数回に亘る準備委員会を開催し真剣なる討議を重ねたる結果、会則、事業計画、収支予算の各案を作成し、有志有能なる会員各位の参加を得まして予定通り昭和26年6月1日創立総会を開催し正式に発足致す事が出未ました次第であります。
創立総会 | 1951年6月1日 午後6時 |
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会 場 | 貿易商工会館 |
発起人 | 5名 |
出席会員 | 19名 |
認証年月日 | 1951年6月1日 (認証番号 第17号) (スポンサー(社)名古屋青年会議所) |
法人認定年月日 | 1972年12月25日 |
理事長 | 鈴木武雄 |
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副埋事長 | 塚本欣一(故) 野澤東三郎(故) |
理 事 | 羽田豊明(故) 山田芳雄(故) 谷中良郎 熊田嘉門(故) |
監 事 | 安井久夫(故) 花田利雄 |
会 員 | 藤城楯蔵(故) 山内 彊(故) 石川孝司 大久保正一 岡本直義 河合 弘 志波 操 鈴木茂男 武田和市 福井良輔(故) 山木達夫 伴野隆二(故) 浅井晃治 今村善行 岡部幸一 河合 巌 川上知也 杉原昌廣(故) 高沢 隆(故) 西島正雄(故) 本多 嵩 *故人は2010年1月現在 |