■2014年度 理事長所信
~ともに、前進を続ける~
未だ焼け野原広がる豊橋の地で1951年、日本経済の正しき発展と世界平和の実現にいささかなりとも寄与する処あらんと企図し、戦後復興を御旗に掲げ、豊橋青年会議所の運動は産声を上げました。先人たちの意気と情熱とをもった努力によって、日本は高度経済成長期を経て世界有数の経済大国となり、地域はその中央集権体制に基づく国づくりから脱却できないながらも、日本全体としては戦後復興を成し遂げ、成熟社会の中で価値観の多様性を認める社会へと転換をしたのであります。
こうした中、国際、政治、経済、文化、教育といった各分野においては、新しい意識と構造の変革が急務となり、従来の意識や論理では到底解決することができない場面が多く見られるようになりました。それら急速な時代の変化とともに、未曾有の国難とも評された東日本大震災から2年が経過しました。かの震災によって我々日本人が感じた社会情勢への不安、歪な産業構造、そして目の当たりした各地域の諸問題は、これまでに鬱積した問題が顕在化したことであり、すべてが震災の発災により新たに生じたものではありません。このような多くの問題を抱え閉塞感漂う時代を混沌と示すのであれば、責任世代である我々がこの国の未来を預かる次世代に対して今何を残していかなければいけないのか。我々にはこの国や地域を明るい豊かなものへと導いていく義務と責任があると強く感じるのです。
人が生きる上で、あるいは社会や国家のありようを考える上で、良い意味でも悪い意味でも常に本当は感情こそが基本になっているのかもしれません。必要な時に物事を動かしたり理性的な解決を見出したりするに、感情の発露が小さくなっているのだとしたら、同時に理性も小さくなっているということです。世の中全体が震災の痛みを忘れつつ、復興へと関心が移っていく中で、震災から立ち直った人たちの明るい表情ばかりが伝えられていますが、本当に復興がなされたのでしょうか。身近に存在する問題に対しても、その感情こそが個人に留まっている限り、どんな理性も発動されず責任が果たされるはずもありません。つまり市民社会を動かすものとは一人ひとりの素朴な想いや情熱であり、またその問題意識を共有しようとする強い理性と意思であるのです。
“世の中を変える事が出来るのは。我々JAYCEEである”
英知と勇気と情熱をもつ青年だからこそ、世界を変え得ることができるはずです。まずは一人ひとりがこのまちの明るい豊かな未来に向けて、何ができるのかと想像することから始めましょう。そして自らの意思とともに強い想いのもと、青年会議所の価値と可能性を信じて積極果敢に行動を続け、明るい豊かな社会ひいては世界平和の実現を目指してまいりましょう。
その力強い歩みによって、
きっと、全てが必ず良くなっていくのです。
<JC運動の発信について考える、アイデンティティの確立に向けて>
愛知県の県民調査によれば「豊橋市を知っていますか」という問いに対して、約99%の県民が知っているまたは聞いたことがあると回答がありました。その中で「豊橋市と聞いて思い浮かぶものは」という問いに対して、約70%の方が答えられないまたは思い当たらないと回答がありました。では、私たち青年会議所が市民の皆様へ「青年会議所を知っていますか?」、「青年会議所と聞いて思い浮かぶものはありますか?」という質問を投げかけたときにどういった回答を聞くことができるのでしょうか。青年会議所運動を推進するうえで、最も戦略的に考察しなければならないことこそが効果的な情報の発信であります。まずは私たちが「青年会議所とは何か」という問いに対して、明確な解答を導き出せるだけの共通認識をもつことで、はじめて対外的にも青年会議所の運動を発信できるはずです。そして青年会議所というフレーズから地域住民が何かを連想することができるような、JCとしてのブランディングを追求することで、青年会議所運動をより広く発信することができるはずです。我々がどのように見られているのか、そして何を求められているのかという、社会からの役割と期待感を取得すること。つまり青年会議所としてのアイデンティティを確立することが急務であります。この活動の積み重ねこそが会員拡大にもつながり、運動の永続的な発信へと結びつけて行くことが可能であると考えます。
かつてJC運動の創始者Henry Giessenbier Jrは「道徳心と市民としての義務を運動の基盤とするこの組織の中から、いつの日か恒久不変な世界平和の確立に向けて人々を奮い立たせるメッセージが現れることを目指します。」というビジョンを描きました。私たち豊橋青年会議所も、品格ある青年の集まりであるこの組織で、市民運動を通じて明るい豊かな社会の実現を目指してまいりました。そして人々を奮い立たせるメッセージを例会という形で発し、市民の皆様とともに前向きな変革を生み出して参りました。だからこそ青年会議所運動に対する地域住民の共感や信頼を積み重ねてくることができたはずです。そこで本年、豊橋青年会議所の運動を一人でも多くの方々へお伝えし共感を求めていく上で、本年度推進する運動の集大成の場を設けます。そして市民とともに社会へ大きなインパクトを与えることによって、このまちの市民運動を大きく前進させてまいります。またこの祭典には、東三河エリアの青年会議所の組織力を活かし、東三河地域住民とともに大きなムーブメントへと導いてまいります。
<東三河地方が目指すべき今後の展望について>
戦後の驚異的な経済成長を経て迎えた2010年代、ここで改めて日本、また地域の現状を眺めてみると、人口の減少、少子・高齢化問題が急速に進んでいます。また国・地方の借金はかつてない高水準にまで積み上がり、国民の血税を何に使うのかに際しては、厳しい「選択と集中」の判断が求められるなど、財政は厳しい状況に置かれています。これからの地域にとって、そこに住まう住民の自立性を大切にしつつも、住民同士が相互に助け合って生活ができる基盤を確立し、極力コストをかけずに安心感を醸成することが、課題となることは間違いないでしょう。
大化の改新の頃、三河国に統合され鎌倉時代から今橋と呼ばれた現在の豊橋市地域は、温暖な気候と豊川の水利を与る交通の要衝としてまた物資の集散地としてその発展を遂げてきました。そして今日も東三河地域の中心都市として、三遠南信地域の中核都市としても躍進を続けてまいりました。地域投資や整備開発の遅れはありながらも具体的な広域連携体制の構築が議論される中で、地域資源を活かした振興施策推進の仕組みとして東三河県庁が設置された今、まさにこの地方の価値が問われているのではないでしょうか。
これまでも豊橋青年会議所では東三河地域の一体化を目指し、その議論を行う下地をつくるため、20年以上にわたり東三河地域、豊川流域圏を見据えた運動を展開し、東三河住民が何を考え、将来の地域に何を期待しているのか、そこから地域の現状と課題を導き出して我々の運動へと繋げてまいりました。既に東三河ビジョン協議会によってその振興ビジョンも歩みを始めている中で、私たち青年会議所も若者らしい未来の鮮明なイメージを明確にし、東三河が向うべきビジョンを大胆に描き、東三河の多様性を活かしたこの地域の明るい未来像を描いてまいります。
またこの地方が持続可能な社会を構築していく上で、自然環境に配慮をしたまちづくり、また連携による一つの集約型都市構造へと転換させ、魅力あるまちづくりを目指す必要があると考えます。先の東日本大震災や福島第一原子力発電所事故によって、我々国民はこれからのエネルギー政策に大きな変革を求められました。まさにこれまでの生活がいかに困難であるのかという感覚に気がついたはずです。だからこそ未来を切り開くエネルギー選択の時に向けて、地域住民の知識と意識を高め、安心安全で持続可能な社会を実現するために必要な地域にフィットしたエネルギー政策の策定を目指します。全国でも有数の地域資源を保有する一大産業圏、東三河地域だからこそ実現できるエネルギーの議論と選択によって、この地域の活性化を目指して参ります。
<とよはしのまちづくりを考える>
持続可能な社会を構築する過程において、まちに根差した魅力的なまちづくりの為には、市民が主体となり、自らのまちは自らでつくるという意識を醸成していくことに他なりません。だからこそ、市民一人ひとりが単なる行政サービスの受け手にとどまらず、むしろ公共の担い手として地域で活躍することが求められていると考えます。そのうえで青年会議所がこの“とよはし”を舞台に、地域に根差した公益活動を展開し、市民の皆様方とその運動を協働することで高い付加価値を付け、地域を輝く存在としていくことを目指してまいります。
交通手段、通信手段の飛躍的な発展により、国際化の進展は留まるところを知りません。その中にあって、人の魅力と活力に溢れた地域社会を形成していくためのカギは、このまちの経済や文化を守り育てて継承していくことではないでしょうか。古くから豊橋のまちには、豊川の恵みをはじめとした地域に根差した経済が存在し、歴史や伝統、芸術文化こそが私たちの郷土を想う心を育んできたはずです。そのように我々が活動をする証こそ、市民が主体的に経済や文化を守り育て、まちの価値を後代に継承していくことであると考えます。青年会議所はこれまでもコミュニティのニーズを分析して、まちのシンボルや魅力を創出し、行政や各種団体とパートナーシップを結びながらまちづくり運動を展開してまいりました。明るい豊かな社会を目指して、市民の皆様とともに、持続可能な解決策を提供してまいります。そして協働型社会においては地域の公共活動や政策プロデュースなどを主導できる公共の担い手としての人材の育成が必須であります。産学官民それぞれの公共的要素へ対応が可能であり、人と人とのつながりをまちへ、そしてくにへと結びつけることができる地域人の育成を目指してまいります。
<このまちの次世代育成教育について考える>
教育は国の根幹を担うものであり、次世代を担う子供たちの育成は、一人ひとりの生きる力とともに、国自体がこれからの社会を生き抜く力を育てるものでなくてはなりません。これまでの教育の現場においては、論理的思考や言語能力の基礎、また学ぶ意味や意欲の獲得だけでない、豊かな人間性とたくましい体づくりを推進してきました。大きな時代の変化とともに、これからの社会を生きていく彼らに対して、我々責任世代は何を伝えていくべきなのでしょうか。無限の可能性をもつ子供たちが、故郷を愛し誇りに思えることこそ、夢溢れるまちの未来を描くことができると考えます。変化の激しい時代や社会に押し流されることなく、ときには時代に抗する知性をもつこと、そして人間の幸福を第一に考え得る体験を提供し、子供たちの自己の自立を促してまいります。そして地域との連携による社会性の育成から、すべての子供たちがこのまちを愛し、ともに元気に笑顔で暮らすことができるまちの未来を目指して、次世代育成教育運動を推進してまいります。
<共感を求めて>
人間は一人ひとりが異なった存在ではありますが、その生き方には深く共通するものがあるはずです。そのなかで自分の感受性や価値観がいかに特別な条件付けられたものであるのかを見つけ、人として普遍的なもの、喜怒哀楽を生きる同じ人としての共感を見出すことが必要なのかもしれません。
“世の中を見ろ。至る所で血を流して戦っている。憎しみ、紛争、内戦、宗教の対立。不幸は至る所にある。人間であるということは、その痛みを感じることだ。そういう悩み、痛みを心の底に抱いて、その上で笑うんだ。もし、世界が変えられないなら、変える事の出来るものがある。それは自分自身である。たとえ自分の存在はささやかであっても、生きる喜びは宇宙を覆う。いま、もし多くの者が誠実に勇気を持って、そして平気で己を変えていったならば、私はこの絶望的と思われている世界の状況、非人間的なシステムも、変え得ると思うのだ。でなければ、なんで人類が生きてきた?そしてこれから、生きていく意味があるのだろうか?” ~岡本太郎~
人は常に自分を導く答えを欲します。真理を教えてもらいたいと思うのです。だからこそ我々が追求しなければならないこととは、常識や権威ある人の意見をそのまま信じ込まないことであり、筋道が通っているからこそ納得できる考え方を求めていくこと、つまり自身の内側から聞こえてきた“問いかけ”に耳をすますことであります。
一人ひとりがJAYCEEとしての生き方を大きく描き、未来の豊橋は我々の手にかかっているという気概をもって、青年会議所にしか実現できない行動へと繋いでまいりましょう。日々、自己研鑽し全力で困難とぶつかることができるのは、青年にのみ与えられた特権なのです。そして運動を発信するうえで、まちやひとからの共感を求めるために、それぞれが強い想いを発してまいりましょう。そして2010年代運動指針が示す「自立」と「共生」が調和する社会の実現に向けて、創造を繰り返すのです。
きっと、全てが必ず良くなっていく・・・
“Little ghetto boy
When, when, when you become a man
You can make things change, yeah
Yeah, yeah, if you just take the stand
You gotta believe it yourself in all you do
You've gotta fight to make it better
Then you'll see how others will start believing to
Then, my son things will start to get better
Everything has got to get better,
Everything has got to get better…” ~Donny Hathaway~